iiyamahirokojiいいやま広小路

いいやま広小路は、長野県の北に位置する飯山市のまちなか、飯山城址の南に広がるエリアです。幾筋もの小路が走り、歩いてめぐれる範囲に商店や住宅が建ちならぶこの地域は、古くから「広小路」と呼ばれて親しまれてきました。地域の中心となるのは、国の登録有形文化財の「飯山復活教会」。定住の牧師はおらず、月に一、二度、別の教会の牧師が来ます。小さな、小さな教会ですが、1932(昭和7)年に建てられてから現在まで、信徒はもちろん、老若男女、地域に生きるわたしたちにとって、大切なふるさとの風景のひとつとしてあり続けてきた大切な場所です。
「飯山復活教会とともに、広小路を長く、後世に」
その思いのもと、わたしたちは改めてこの地域を「いいやま広小路」と名づけ、まちの未来を考える「いいやま広小路会議」を開いてきました。ここに生きるわたしたちが充実した日々を重ねられるように、ここを訪れる人が共感や発見に満ちた時間を過ごせるように、まちの賑わいを醸成する催しを定期的に行うほか、基本計画と景観協定を策定し、温もりのあるコミュニティとふるさとの懐かしみに満ちた景観づくりに取り組んでいます。いいやま広小路は、こうした取り組みを通じて、次の世代に自信を持って受け継ぐことができるまちに成長していくことを目指しています。

Iiyama Resurrection Church飯山復活教会

教会のはじまりは1893(明治26)年、カナダ人宣教師ジョン・ゲージ・ウォーラー司祭が長野市を訪れ、その2年後、1895(明治28)年に飯山への宣教が行われたことに端を発します。師は長野県の北東部における伝道の中心的な役割を担った人物。飯山にも足繁く通って伝道に勤しみ、信徒らが買い取った一般民家で活動を続けること約40年。念願を果たし、1932(昭和7)年に建設されたのが飯山復活教会です。
木造切妻・妻入で鐘楼を設置した、単廊式の教会です。外壁は下見板張り、内壁は白漆喰仕上げ。畳敷きの前室と会衆席に親しみがわきます。時を経るあいだに前室の両脇に応接室と手洗所が新設、併設の牧師館は取り壊され、跡地には「瞑想のラビリンス」があります。
寺の町といわれる飯山におけるキリスト教文化の伝道を語るうえで、また、ジョン・ゲージ・ウォーラー司祭の長野県における布教活動の貢献を示すうえで、欠くことのできない教会です。

教会を訪問されたい方はこちらをご覧ください
日本聖公会 中部教区HP

飯山復活教会

Iiyamahirokoji Conferenceいいやま広小路会議

地域の商店主、住民、信徒、商工会議所、飯山市が歩みをともにし、2013年10月に立ち上げたのが「いいやま広小路会議」です。次の世代に何を残すかを念頭に、目先の利益にとらわれることなく地域の将来について話し合いを重ね、2018年には街並み整備と地域活性化を目指して広小路基本計画を策定しました。
会議に大きな影響を及ぼしたのが、美術家・田窪恭治氏との出会いでした。かつてフランス・ノルマンディー地方の小さな礼拝堂を「林檎の礼拝堂」として地域の人々が再び集まる場所として再生した田窪氏は、いいやま広小路を訪れ、飯山復活教会に「第2の運命の出会い」を感じたと振り返ります。
会議の場にとどまらず、幾度となくこの地を訪れてくださる田窪氏と多くの言葉を重ね、いいやま広小路という場所や人と触れ合っていただくうちに、田窪氏の手から音や光があふれるスケッチが生まれました。そのスケッチはわたしたちが抱く「夢」。目指す地域のイメージの礎として共有し、今に至ります。

田窪恭治氏のスケッチ

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